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今その文太郎が県会の視察旅行に出ていたので、法事の主人役は直造に廻つたのである。だが、文太郎はかういふ町内づき合をあまり好んでいなかつたから、たとへ在宅だつたにしても、直造は主人役を買つて出たであらう。
二
さう云ひながら、盛子はゆつくりと喰べていた物がまだ口の中に残つているような無邪気な顔をした。
房一が云ひかけると
房一は熱心に愛想よく椅子をすゝめた。
肉が部厚に盛り上つているために自然と深くできた額の横皺、稍やゝ動物的な感じのする大きな眼玉、近頃その上に髭を蓄へはじめた厚いふくらんだやうな唇、それらのあまり美しいとは云へない部分々々を一つの形にまとめるやうに顔の下半から張り出している円い確しつかりとした案外柔味のある顎――盛子が結婚後最初に覚えたのはこの円い顎だつた。それは房一の顔に調和と落ちつきを与へていたばかりでなく、盛子の胸に何かしら安心と親しみ易さを感じさせた。
「さあ、どうぞ。仇かたきの家へ行つても朝茶はのめ、と云ふことがありますよ。お茶ぐらいはのんでもらはんと――」
「さうかよ。おれは又、河原町を通るんだとばつかり思つた」
田舎町の習慣として、婚礼とか祭礼とか、葬式、法要などが盛んで、狭い町中がお互ひの家の奥向きの様子など手にとる如く知り合つているほど交際が密であつたから、家ごとに何かあるといつも同じやうな顔ぶれ、つまり殆ど町中の人が時期と場所を変へただけで寄り集ることが多かつた。そして、その人達の座席の順序が家の格式財産にしたがつてきちんと決まつていて、上座に坐る人はどの家へ行つてもあたり前のやうに臆する所なく上座に坐るし、下座の人も唯々いゝとしてその席につき、決してその順序を乱すやうなことは起きなかつた。他村からこの町に移り住んで、町の商店区域で手堅く商売をやり、だんだん基礎もでき、町の交際範囲に入られるやうになつた者でも、席順はずつと下座であつた。若し誰か気骨のある男があつて、これを破らうとすると、彼は後々の場合あらゆる方面からの圧迫をうけて遂には折角築き上げた商売上の地位でさへ見すてなければならなかつた。それほど此の「河原風」といふものは根強く牢固たるものであつた。
「え、御老人、どうしました?苦しいですか」
「何んにも訊かんといて下さい。ちよつと間違ひが起きたんやで、――それは、後でお話しますわ――とにかく、手当を頼みます」
あるとき一人の女の客が私に話をした。